こんばんは。
ゼロワンスタジオの閉校を決めてから、生徒さんたちのお手本に、という義務感がなくなり、ブログで書きたいことを書いていて、投稿記事が増えている宇佐美です。
僕はもともと教育という言葉が好きではありません。
先生から生徒へ、という一方的な響きがあるからです。
ですので、先生と呼ばれることに抵抗がありました。
しかし、生徒さんから見れば、先生、なのかなと特に訂正することもなかったのですが、おい宇佐美、くらいのほうがしっくりきます。
とある中学校に伺ったら、すれ違う生徒さんが例外なく挨拶をしてくれるのです。
これも教育なのでしょうが、はっきり言って、気持ち悪い。
ゼロワンに通われている生徒さんの学校でも、そうらしいです。
その、とある中学校の先生と話をしたら、うちの学校は、補導される生徒がほんと少ないのです、とおっしゃってました。
その時思ったのですが、補導される生徒さんが少ないということは、みんながんじがらめになっているわけで、俗に言う悪い子もいない反面、天才的な才能を発揮する子もいないのだろうな、と。
挨拶できることは素晴らしい、という世間の常識は本当でしょうか。
子供の個性を大事にする多様性の時代と言われていますが、多様性ってすべてにおいてなのです。
偏見とも言える常識の範囲内での多様性では、何の意味もないのではないでしょうか。
多様性の時代って?
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