こんばんは。
プログラミングが好きで、ゲームを作るのですが、作りたいものしか作らず、気が向かないときは既成のゲームばかりしていて、家内に、お金になるゲームを作りなさいと叱られている宇佐美です。

すべての人は自由と言いながら、僕も以前は、人生の先輩に対し、そんなのは間違っている、と言ったことがあります。その人は、会社組織の中で上手く立ち回る人で、僕の大嫌いな部類の人だったのです。

ただ、今思うことは、その人はその人で、僕は僕、つまり、僕がその人を嫌いということは事実であってそれはいいのですが、その人に、あなたは間違っている、という言動は、その人の自由に対する介入なのですね。その点は、僕が間違っていたと思っています。

世の中は、自由への介入で溢れかえっています。特に、正義、という世の中の常識が、この自由への介入を助長します。
テレビのワイドショーでも、あの人はこうするべきだ、あの人は反省すべきだ、あの人は間違っている、と言う昨今、あまり意識していないかもしれませんが、気持ち悪くなるほどの自由への介入です。

あおり運転の犯人が騒がれていますが、一部の報道の情報から、個人的に彼は他人からの優越でしか満たされない可哀想な人で、かなり幼い人だと思いますが、彼に対して、反省すべきとか、運転するなとか、は、誰も言うべきことではないのです。すべての人は自由なのです。